2014年08月27日

「視線を感じる」というのは正確ではない

最近「視線を感じた」ということが2回あった。
どうして視線を感じたのかといろいろ考えていると、これまでの認識とは違う思いが芽生えた。そのことを書いておきたい。

ネットで「なぜ人は視線を感じるのか」と検索するといろいろ出てくるが、読んでみても何か違うなと思う。この現象(感覚?)を正しく説明していないと思えるのだ。

今回の2回の私の経験では次のようなことがいえる。
1.そのとき視線を感じたことを意識していない。
2.自分でもどうしてそちらに顔を向けたのかが判らない。
3.ただ顔を向けた先に私を見ている人がいた。
この1・2・3の流れがそのときの事態を正しく説明したものと考えるのだ。
そしてこの現象についてあとで「視線を感じて振り向くとこちらを見ている人と目が合った」と言い直しているのだと考えるようになった。

つまり「いま誰かが私を見つめている」と意識の上まで感じて振り向くわけでは無いということである。
視線を感じることもそちらに顔を向ける行動も全て無意識に行っている。
これが「視線を感じる」の本来の姿ではないのか、そう考えるのが正確な説明ではないのかと思うのである。
これは五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)による知覚とは別の感覚による何かがそうさせているのか、それとも全くの偶然の出来事だったのか。これが問題である。

人はたまたま起きたことでも、特別な現象は記憶に残りやすく再び起こったときに「また起きた」と思うのも実際によくある。

私の場合ではこんなことがある。
いま何時だろうと思って時計を見ると、同じ数字が重なった時刻のことが多い。例えば44分だったり11秒だったりと。
しかし実際には時計を見る機会はもっと沢山あり、同じ数字でないことの方が圧倒的に多いにもかかわらずそのことを忘れて同じ数字のときのことだけをよく覚えているため、そのように錯覚(誤解)しているのが事実なのだと思う。

だから視線を感じることについても次のようにも考えられる。
人は毎日たくさん視線を送っている、新聞を読んだり、人と挨拶したり、運転中の道路や周辺を見たり、これらは全て意識的に目的を持って視線を送る行為だ。一方でただ漠然とものを見ることもある。そうした中で視線を送った先に意識していなかった人と目が合ったのかも知れない。それを不思議と感じて強く印象に残った。だから視線を感じると表現したのかも知れない。

しかし、本当にそれで説明がつくのか・・・とも思っている。
このことについてはまたいつか書きたい。
posted by なっちゃん at 13:04| 静岡 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする